「医学的ため息」の効用

「ため息をつくと幸せが逃げる」と言われます。でも呼吸の研究からみると、これはまるきり逆です。ため息は、脳幹にあるわずか200個ほどの神経細胞が数分に1回、わざわざ起こしている生きるために必要な動作です。その仕組みを自分の意思で借りるのが「医学的ため息(サイクリック・サイイング/周期的ため息)」。スタンフォード大学の試験では、1日5分・28日間でいちばん気分が上向いた呼吸法でした。
ただし、この方法は「万能のリラックス法」ではありません。動いた指標と、動かなかった指標がはっきり分かれています。このコラムでは、やり方を30秒で伝えたうえで、効果の中身とその限界、そしてやってはいけない場面までを、一次資料にあたって整理します。訪問看護の現場で働く方と、ご家庭で介護をされている方の両方を念頭に書きました。
SECTION 01 結論——先に3つだけ
SECTION 02 やり方——道具も場所もいりません
もとの試験で参加者に配られた説明は、驚くほど簡素です。椅子に座り(横になってもかまいません)、5分のタイマーをかけて、次の呼吸をくり返すだけ。呼吸を止める工程はありません。
図1 もとの試験の説明文には「2回とも鼻から吸い、口から吐くのが理想だが、すべて鼻でもよい」「2回目の吸気が短くなるのは正常」と書かれています。秒数の指定はありません。
SECTION 03 ため息は、脳幹の200個の神経細胞がやっている
ため息が「感情の産物」だと思われがちなのは、悲しいときや疲れたときに増えるからです。しかし研究の順序は逆で、まず生き延びるための機能があり、そこに感情の回路があとから接続しています。
2016年にNature誌で報告された研究は、ため息をつくらせている神経回路を特定しました。延髄の呼吸中枢のなかに、ニューロメジンB(NMB)またはガストリン放出ペプチド(GRP)という物質をつくる小さな神経細胞群があり、それが呼吸のリズムをつくるプレベッツィンガー複合体へ信号を送ります。受け取る側の神経細胞は、重なりを含めて約200個。どちらか一方の受容体を止めるとため息が減り、両方を止めるとため息が消えます。それでも普通の呼吸は残ります。つまり、ため息は普通の呼吸の「おまけ」ではなく、専用の回路を持った独立した動作です。
その目的ははっきりしています。ため息はネズミでもヒトでも数分おきに自然に起こり、つぶれた肺胞をふくらませ直してガス交換を保つ働きをしています。ヒトのため息の回数はおよそ1分あたり0.2回——5分に1回ほどという見積もりが使われています。深呼吸をまったくしない状態が続くと、肺の一部は少しずつしぼんでいく。それを防ぐための、定期的な「開き直し」がため息なのです。
図2 ため息の回路は感情とも接続しています。マウスを狭い場所に閉じ込めるとため息の回数が2〜3倍に増え、その指令は視床下部からこの回路に届いていました(Li P ら, Cell Reports 2020)。
SECTION 04 スタンフォードの試験は、何を比べたのか
2023年1月、Cell Reports Medicine誌に発表された無作為化比較試験が、この方法が知られるきっかけになりました。108人を4群に分け、1日5分の呼吸法または瞑想を28日間つづけてもらい、毎日その前後に気分と不安を測定。あわせて腕に装着したウェアラブル端末で、安静時心拍・心拍変動・呼吸数・睡眠を記録しています。
図3 瞑想群だけが「呼吸を意図的に変えない」条件です。この試験は、呼吸を自分で操作することに意味があるのかを問う設計になっています。
結果を、そのままの数字で見る
まず押さえておきたいのは、4群すべてで気分がよくなり、不安が下がったということです。差がついたのは、その伸びしろの部分でした。以下は、1日あたり(呼吸法・瞑想の直前と直後の差)を28日間平均した値です。
図4 ポジティブな気分の伸びは、他の呼吸法もほぼ同じでした(ボックス呼吸+1.84点、周期的過換気+1.97点)。周期的ため息だけが瞑想に対して有意になったのは、生の数値の大きさではなく、「続けた日数が増えるほど伸びが大きくなる」という時間経過のパターンによるものです。
さらに、論文自身が「各呼吸法どうしを比べるには人数が足りず、検出力が不足している」と限界として明記しています。この試験は、呼吸法どうしの優劣をつけられる設計ではありません。
SECTION 05 動いた指標と、動かなかった指標
この試験のいちばん有用な点は、ウェアラブル端末で身体の指標を28日間まるごと記録したことです。おかげで「何が変わって、何が変わらなかったか」がはっきりしています。
図5 呼吸数の下がり方と気分の伸びには相関がありましたが、相関係数はr=−0.24。二乗すると6%に届きません。呼吸数の変化で説明できるのは、気分の変化のごく一部です。
1. あらかじめ計画を登録した試験ではなく、実施後に登録されました(論文自身が明記)。
2. 参加者の多くがスタンフォード大学の心理学の学部生です。高齢者や在宅療養中の方は含まれていません。
3. 心疾患・緑内障・けいれんの既往・妊娠中・精神病性障害・自殺念慮・双極性障害・物質使用障害のある方は除外されています。これらの方での安全性・有効性は、この試験では確かめられていません。
4. 28日で終わっており、その後の追跡はありません。
5. 遠隔で行われたため、実際にどう呼吸していたかは確認できていません。
6. 筆頭著者らの1人が、試験に使われたウェアラブル端末の会社の顧問に就任したこと(2022年6月)が利益相反として開示されています。
SECTION 06 他の研究は、どう言っているか
1本の試験だけで判断するのは危険です。呼吸法全体を見渡すと、「効く」という結果と「他のやり方と変わらない」という結果が両方あるのが実情です。
図6 最後の研究は2026年1月にPsychophysiology誌に掲載されたもので、「ため息=副交感神経が働いて落ち着く」という単純な説明が成り立たないことを示しています。落ち着くのは、ため息そのものではなく、そのあとに来る呼吸のリセットのほうだと考えられます。
メタ解析では効果ありなのに、同じ研究チームの400人のプラセボ対照試験では差が出ませんでした。矛盾しているようですが、比べている相手が違います。
1. メタ解析の「対照群」は、多くが何もしない待機群です。ここには「毎日5〜10分、自分のために時間をとる」という行為そのものの効果が丸ごと入ります。
2. プラセボ対照試験の「対照群」は、本人が呼吸法だと思って毎日やる、普通の速さの呼吸です。時間をとる行為の効果は両群に等しく入るので、差し引かれます。
3. 残った差がゼロだったということは、効いている中身の相当部分が「呼吸の型」ではなく「毎日それをする」ことのほうにある可能性を示しています。
これは呼吸法を否定する話ではありません。ただし「この吸い方でなければ意味がない」という言い方は、現在のエビデンスでは支持されません。
SECTION 07 それでも、勧める理由
ここまで慎重な話が続きましたが、私たちがこの方法を紹介するのには理由があります。効果の大きさではなく、費用対効果と、続けやすさです。
- 費用がゼロ。道具も、アプリも、通院もいりません。
- 場所と時間を選ばない。車の中でも、階段の踊り場でも、5分あればできます。
- 覚えることが2つしかない。「2回吸う」「長く吐く」。それだけです。
- やめるのも自由。合わなければ、その場でやめれば元に戻ります。
- 他の治療の邪魔をしない。薬にも、リハビリにも、カウンセリングにも干渉しません。
もとの試験では、参加者の90%が「良い体験だった」と答えています。一方で10%は「良くない体験だった」と答えており、96%が説明動画を「わかりやすい」、74%が実践そのものを「簡単だった」と評価しました。全員に合う方法ではない、しかし多くの人にとってはハードルが低い——という位置づけです。
SECTION 08 やらないほうがいい場面・注意が必要な人
「安全な方法」と紹介されがちですが、大きく2回吸うという動作は誰にとっても中立ではありません。特に在宅療養中の方に伝えるときは、次の点を確認してください。
図7 なお、周期的ため息には息を止める工程がありません。息こらえを伴うボックス呼吸や、速い呼吸をくり返す方法(ヴィム・ホフ式など)とは、注意すべき点がまったく違います。混ぜて説明しないでください。
実際、パニック症に対する呼吸の訓練は、二酸化炭素濃度を測りながら「ため息を減らす」方向に指導することがあります。「ため息=いいこと」ではありません。自分の意思で5分やることと、意思と無関係に出続けることは、まったく別の現象です。
SECTION 09 2028年4月、訪問看護ステーションもストレスチェックの対象になります
ここからは、この話が制度とどうつながるかです。訪問看護ステーションのほとんどは職員数50人未満で、これまでストレスチェックは努力義務でした。それが変わります。
図8 準備には実施者の確保や外部委託先の選定が必要で、半年から1年はかかります。2026年から2027年のうちに検討を始めるのが現実的です。
「相談できる人はいる。でも相談しない」という現実
厚生労働省の令和6年労働安全衛生調査(2025年8月7日公表、8,596人)では、現在の仕事に強い不安・悩み・ストレスを感じる事柄がある労働者は68.3%でした。内容の上位は「仕事の量」43.2%、「仕事の失敗、責任の発生等」36.2%、「仕事の質」26.4%、「対人関係」26.1%です。
もうひとつ、現場で意味を持つ数字があります。同じ調査で、ストレスを相談できる人がいる労働者は94.6%。ところが、そのうち実際に相談したことがある人は74.7%にとどまります。相談先がないのではなく、相談先はあるのに使われていない。この4分の1のすきまが、日々の消耗が静かに積み上がる場所です。
1. 地域産業保健センター(地さんぽ)——全国約350か所。50人未満の事業場を対象に、長時間労働者や高ストレス者への医師の面接指導などを無料で提供しています。
2. 産業保健総合支援センター(さんぽセンター)——47都道府県に設置。ストレスチェック制度を含むメンタルヘルス対策の相談や、事業場への訪問支援を無料で行っています。
3. ストレスチェック制度サポートダイヤル——0570-031050(平日10時〜17時)。制度の導入・実施についての相談窓口です。
4. 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」——電話・SNS・メールでの相談を受け付けています(こころの耳電話相談 0120-565-455)。
SECTION 10 場面別の早見表
| こんなとき | どうするか | 理由 |
|---|---|---|
| 訪問と訪問のあいだ、気持ちを切り替えたい | 停車してから5分 | 短時間で気分が上向くという結果が出ているのは、まさにこの使い方。運転しながらは不可。 |
| これから緊張する場面(家族への説明、初回訪問など) | 直前に2〜3回 | 1日あたりの気分の改善は、実施直後に測られたもの。数回でも形は同じ。 |
| 気持ちを落ち着けたいが、瞑想は続かなかった | 試す価値あり | 試験では、続けた日数が増えるほど効果が伸びたのは呼吸法のほう。動作があるぶん続けやすい。 |
| 眠れないので寝る前にやりたい | 害はないが期待しすぎない | 28日間の試験で、睡眠時間・効率・スコア・日中の眠気はどれも変化しなかった。 |
| 血圧を下げたい/自律神経を整えたい | この目的では勧めない | 安静時心拍・心拍変動は変わらず。ため息の最中はむしろ心拍・血圧が上がるという報告もある。 |
| 2週間以上、気分の落ち込みや不眠が続いている | 受診を優先 | 呼吸法で症状がまぎれると、受診が遅れる。呼吸法は治療の代わりにならない。 |
| 最近ため息が増えた気がする | 回数を増やさず相談 | ため息の増加は、不安の強い状態や呼吸の乱れのサインであることがある。 |
| やっている最中にめまい・しびれが出た | その場で中止 | 浅く短くから再開するか、合わないと判断してやめる。無理に続ける理由はない。 |
| COPDや在宅酸素の利用者さんに教えたい | 主治医・PTに確認 | 呼吸リハビリの口すぼめ呼吸とは別物。自己判断で追加しない。 |
| 認知症のある方にやってもらいたい | 言葉より一緒にやる | 手順を覚えてもらうより、正面に座って同じリズムで呼吸するほうが伝わる。強制はしない。 |
| ステーション全体でメンタル対策を考えたい | 地さんぽに相談 | 50人未満は2028年4月から義務化。無料の公的支援を先に押さえておくのが現実的。 |
| 介護しているご家族に何か勧めたい | 方法より休息の確保 | 5分の呼吸法より、レスパイトやサービス調整のほうが効く場面のほうが多い。 |
SECTION 11 よくあるご質問
ふくろう訪問クリニックは、福岡市早良区を中心に訪問診療を行っています。精神科・認知症・緩和ケア・難病の在宅療養を専門としており、通院が難しい方のご自宅にうかがって診療します。ご本人だけでなく、介護をされているご家族の消耗についてのご相談も受けています。
次のような状態が続いているときは、呼吸法でしのぐ段階ではありません。おひとりで抱えず、ご相談ください。
- 気分の落ち込み・興味の減退が2週間以上続いている
- 眠れない、あるいは眠りすぎる日が続いている
- 食欲が落ちて体重が減ってきた
- 強い不安や動悸の発作がくり返し起きる
- 介護している方が、休息をとれない状態が続いている
※ 訪問診療の対象や地域についてはお問い合わせください。すぐに命に関わる心配があるときは、迷わず救急要請(119番)を。判断に迷うときは救急安心センター(#7119)でも相談できます。
SECTION 12 参考文献
- Balban MY, Neri E, Kogon MM, Weed L, Nouriani B, Jo B, Holl G, Zeitzer JM, Spiegel D, Huberman AD. Brief structured respiration practices enhance mood and reduce physiological arousal. Cell Reports Medicine. 2023;4(1):100895. doi:10.1016/j.xcrm.2022.100895(PMID: 36630953)
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https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11310264/ - 厚生労働省「ストレスチェック制度・メンタルヘルス対策」(令和10年4月1日から労働者数50人未満の事業場にも義務化。2026年6月10日・6月30日のお知らせを含む)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/index.html - 厚生労働省「労働者数50人未満の小規模事業者の方」(地域産業保健センター・産業保健総合支援センター・ストレスチェック制度サポートダイヤルの案内)
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_70761.html - 厚生労働省「令和6年 労働安全衛生調査(実態調査)結果の概況(個人調査)」2025年8月7日公表。強い不安・悩み・ストレスがある労働者68.3%、相談できる人がいる94.6%、実際に相談した74.7%。※設問形式の変更により前年との比較には留意が必要
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r06-46-50_kekka-gaiyo02.pdf - 厚生労働省「令和6年 労働安全衛生調査(実態調査)結果の概況(事業所調査)」メンタルヘルス対策に取り組む事業所63.2%(労働者数10〜29人では55.3%)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/r06-46-50b.html - 厚生労働省「働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト こころの耳」
https://kokoro.mhlw.go.jp/ - 厚生労働省「統合医療」情報発信サイト(eJIM)「ストレスに対するリラクゼーション法について知っておくべき5つのこと」
https://www.ejim.mhlw.go.jp/pro/communication/c03/16.html
本コラムは一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療方針を示すものではありません。呼吸法を含むセルフケアは、現在受けている治療に置き換わるものではなく、症状が続く場合は必ず医療機関にご相談ください。呼吸器疾患・心疾患・不安障害などで治療中の方は、実施前に主治医にご確認ください。
記載した内容は2026年8月時点で確認できた一次資料にもとづいています。制度(ストレスチェックの義務化に伴う省令等)については、今後内容が追加・変更される可能性があります。最新の情報は厚生労働省のページでご確認ください。
本コラムの作成にあたり、関連する企業・団体からの資金提供や便宜供与は受けていません。

